2020/03/4 玉島にある旧柚木家住宅(西爽亭)にお雛様が展示してあるとのことで、見に行きました。この「西爽亭」は戊辰史跡で、備中松山藩主に仕えた玉島の庄屋、柚木家の旧宅で、江戸時代中期の建築といわれ、藩主の御座所でもあった風格ある造りや構えの素晴らしい邸宅です。実は私は名前は知れど、ここに来るのは初めてで、以下のような歴史があることを全く知りませんでした!いや〜、ちょっと幕末の郷土史を勉強しないといけないわ!そういえばうちの実家に、火縄銃や裃が置いてありました。。<倉敷市の公式サイトより抜粋>西爽亭は、備中松山藩士の熊田恰(くまだあたか)が多数の部下の命を守るために自刃した場所としても知られています。この出来事は、結果的に玉島の地が幕末の戦禍から救われた逸話として現在も語り継がれています。また、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重の夫で、同志社大学の創設者として知られる新島襄が、備中松山藩の川田甕江の塾で学ぶ中、19歳の時に玉島港へ寄港した際、柚木家の風呂に入ったそうで、そのことが自叙伝にも記されています。(参考文献:新島襄全集)
2020/03/3 地元に戻って最初に行きたいな、と思ったのは倉敷の美観地区です。この写真は2月に撮影したものですが、コロナウィルスの蔓延で観光客もまばら。ゆっくり美観地区を歩くのも久しぶりですが、驚いたのはいわゆる観光エリアが広がったということ。昔は倉敷川の周辺だけが風情ある街並みでしたが、今はその景観が少し広がり、お店や飲食店なども増えていました。どうでしょうこの写真、晴れの国岡山としては珍しくどんよりした天気ですが、この風景は東欧のどこかの街のような風情を感じますね。
2020/03/2 ふと気が付くともう3月です。11月27日に東京から岡山(倉敷)に慌ただしく引っ越しをしましたが、それから12月、1月、2月と怒涛の如く3カ月が過ぎてしまいました。もう3カ月も「ネパリン日記」がほったらかしだったので、再開しなくっちゃ!現在私は岡山県倉敷市の自分の生家近くに住んでいます。そこを岡山拠点とし、東京の拠点(田町)と新たに2拠点でファイリング指導の仕事をスタートさせました。今まで東京を拠点に各地に出向いていましたが、それは変わりません。逆に関西以西については、岡山拠点に移動するので、交通費等が東京からより安く対応できます。今回私が思い切って東京⇒岡山へ引っ越した理由は、以下の5つの理由からです。(1)東京の自宅マンションの建て替えが2023年まで4年 あまりの長期間になる。引っ越しの必要性。(2)実家の両親が高齢になったこと。(3)西日本大豪雨の際に、実家の山崩れが発生したこと。 これにより、各種の工事等が発生。(4)2018年に今までの総括的な本を出版できたこと。 「整理・整頓が人生を変える」(法研)(5)年齢的な一つの区切りどうでしょう。見事に全てのタイミングが一致して「今は岡山に行く(戻る)べき」と判断しました。折しも世の中は「働き方改革」の真っただ中。 私自身が自分の働き方改革を行うのにベストタイミングだと思いました。これからはローカルな話題や新たな発見など、イロイロ増えてくるのではないかと思います!’* + ☆°・ ‥.゜★。°: ゜・ 。 *゜・:゜☆
2019/10/2 JALグローバルクラブに入っていますが、通算登場回数が300回(15万マイル相当)に達したことを記念して、グローバルクラブ特製のタッグが届きました。なかなか感慨深いものがあります。でも、今回は「ひとつ星★」で「ファイブスター」のランクでは一番下です。次は500回達成で「ふたつ星★★」となります。因みに「ファイブスター」には、国内線通算1,250回の搭乗が必要。ふたつ星を目指したいけど、今まで20年以上かかったからちょっと難しい。でもあきらめないわ。
2019/09/26 先日キッチンタイマーの液晶部分が映らなくなったので寿命と思い、買い換えることにしました。家電量販店まで行くのも面倒なので、近所の100円ショップで探すとボタン電池付きで、写真(右)のようなものがありました。これで十分。ついでに小型の懐中電灯も。こちらも電池付き。ふと思ったのが、ボタン電池の交換。たぶん両方の電池交換のときには、どのサイズの電池を買うかで迷うことになるでしょう。特にサイズが小さいし、両方とも電池が違います。そこで電池の品番が印刷された紙を後でテープで貼り付けておきました。ちょっとしたことですが、後で必ず役に立つわ!
とのことで、見に行きました。この「西爽亭」は
戊辰史跡で、備中松山藩主に仕えた玉島の庄屋、柚木家の旧宅
で、江戸時代中期の建築といわれ、藩主の御座所でもあった
風格ある造りや構えの素晴らしい邸宅です。
実は私は名前は知れど、ここに来るのは初めてで、以下のような
歴史があることを全く知りませんでした!
いや〜、ちょっと幕末の郷土史を勉強しないといけないわ!
そういえばうちの実家に、火縄銃や裃が置いてありました。。
<倉敷市の公式サイトより抜粋>
西爽亭は、備中松山藩士の熊田恰(くまだあたか)が多数の部下
の命を守るために自刃した場所としても知られています。
この出来事は、結果的に玉島の地が幕末の戦禍から救われた
逸話として現在も語り継がれています。
また、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重の夫
で、同志社大学の創設者として知られる新島襄が、備中松山藩
の川田甕江の塾で学ぶ中、19歳の時に玉島港へ寄港した際、
柚木家の風呂に入ったそうで、そのことが自叙伝にも記されて
います。(参考文献:新島襄全集)