ネパリンの窓-
				  小野裕子の徒然日記-

1121.松涛美術館 〜セラミックス・ジャパン〜

2017/01/13
渋谷の神泉交差点付近で仕事が終わり、電車で帰ろうと
神泉駅まで行きました。ふと、道案内図を見ると
松涛美術館が近いようです。考えてみると、まだこの美術館
には行ったことがありません。せっかくの機会なので立ち寄っ
てみると、ちょうど「セラミックス・ジャパン」という企画
展が開催中でした。陶磁器でたどる日本のモダン。
明治維新から第二次大戦までの約70年に及ぶ、近代日本陶磁器
のデザインの流れを161件の作品でみていきます。

私は陶磁器が好きで、昨年は名古屋の「ノリタケの森」に
行きましたが、そこで見たものと共通するものがありますね。

私が思わず目を留めたのは「国産タイル」の数々でした。
一瞬マジョルカタイルかと思いましたが、国産品です。
なんて鮮やかできれいな色なんでしょう。当時国産品でも
このようなものがあったんだな〜と感じ入りました。

松涛美術館は市街地の中にあり、敷地も狭く真っ直ぐでは
ないとのことで、かなり建築設計・デザインなどに苦慮して
建造されたようです。でも中央に大きな噴水があり、
狭いなりにいい雰囲気でした。

*写真はパンフレットの一部分より




1020.やっと手に入れた今年のNOLTY

2017/01/12
私は日常の仕事の記録兼日記として、日本能率協会
マネジメントセンターのNOLTY<1頁1日>(A5サイズ)を
使用しています。
昨年12月に入ってから、いろんな手帳売り場でこのノート
をさがしているのですが、なかなか見つかりません。
そしてあっという間に2017年になりました。
「これではいかん!」と、アマゾンで探してみると、
すぐに見つかりました。そしてもう翌日には手元に。。。
アマゾンはすごいなあ〜。最初から、こうすればよかったわ。





1119.濃霧により飛行機欠航  〜岡山⇒羽田〜

2017/01/10
1月8日は岡山空港から飛行機に乗るはずでしたが、
な〜んと空港に行くと、濃霧のため羽田便が欠航に
なってしまいました。ギリギリまで待っていましたが、
好転せず。

飛行機をよく利用する私ですが、「欠航」ということは
ほとんど記憶にありません。運よく朝一の予約が振替で
とれて一安心ですが、7:10分発。
結局岡山のホテルを急きょ予約し、翌日6時にチェックアウト
となりました。翌日の仕事が入っていなくてよかったわ。
ちょうど行きたかった馴染み?の居酒屋「平平平平」で、
新酒が飲めてよかったかもね。この日はちょうど成人式の
ようで、繁華街は大賑わいでした。




1118.恐怖?・・・の横浜マリンタワー

2017/01/9
お正月に横浜のマリンタワーに上ってみました。

時間はちょうど日暮れどき。マリンタワーは94mほどの
高さだそうです。2階からエレベーターで一気に上がって
いきますが、そのときのエレベーターは私ともう一人の
男性でした。エレベーターが上に登り始めて、私はすぐ
後悔しました!外が丸見えのエレベータです。正直「怖い!」
ああ、私は高いところ苦手なんだわ!一気に最上階なら
よかった。。。。思わず座り込みたい気分でした。。。
なんとか辿り着くと、360度の展望でいい眺めです。
富士山もみえるんですよ。
・・・・だけど、なんとなく揺れる。早く降りたい気分ですが
どうせなら沈む夕日と夜景も見てみたいわ。

気持ちも落ち着き、下りのエレベーターはそれほどの恐怖
もなく一安心。私は観覧車はダメだな〜。観覧車のデートは
できないわぁ。。。




1117.古い写真から読み取る「小野家の歴史」の一コマ

2017/01/4
岡山の実家に帰省すると何かしら整理をします。
今回の私は、仏壇の下の引出しに入っている
古くからの写真の整理に着手しました。

あるあるある・・・・、明治から昭和にかけて、ほとんどが
祖母がもっていたものですが、戦時中にうちに疎開していた
人や急逝した人たちのものもあります。セピア色に変わった
写真は年代も誰が写っているかもわからないものがほとんど
です。

★そんな中私の目を引いたのが<この1枚の写真>。
どうやら昭和10年に、若くして亡くなった祖父の弟の
時雄さんの持ち物らしい。本人は写っていませんが、
いろんな情報を突き合わせてみると早稲田大学で演劇を
やっていた時雄さんの友人たちのようです。

どおりで美男美女&個性派ぞろいだわ(笑)
早稲田の演劇なら、もしかして戦前の銀幕スターなどいない
かしら?・・・・と調べてみると、「いました、いました!」
右側のひときわハンサムな男性!「中野洋二」さんという方
らしい。中野さんは明治37年生まれ。時雄さんも明治37年
生まれの同じ年。真ん中の美女は誰かしら??

思いがけず急逝した時雄さん、当時の早稲田の学園祭の写真
にも友人たちと一緒に、ちょっと蛮カラ風に写真に納まって
いました。急逝しましたが、小野家の一番いい時代を生きた
のかもしれません。




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